人生は、人との出会いで開かれていく。


― 人材ビジネス設立33年目を迎えて ―


毎年、弊社の設立記念日である7月1日になると、必ず思い出すことがあります。

弊社は1991年7月1日にデラウェア州で創立し、1994年にマンハッタンで人材紹介ビジネスを開始しました。

そして今年、おかげさまで人材ビジネス設立33年目を迎えることができました。

創立以来35年間、自己資本のみで経営を続けてきました。

長く会社を経営していると、順風満帆な時ばかりではありません。むしろ修行と言えるような時期の方が長かったように感じます。

それでも今日まで会社を続けてこられたのは、多くの方々との出会いがあったからです。

人生を振り返ると、私の人生にはいくつかの大きな転機がありました。

そして、その転機はすべて「人との出会い」から始まっています。

1981年、私は関西外国語大学へ入学しました。

2年生の夏、オハイオ州へ交換留学を終えて帰国したばかりの関西外大の先輩と、アルバイト先の中宮書店で偶然出会いました。

その先輩から交換留学生制度の話を伺い、「そんな制度があるのか」と初めて留学という選択肢のヒントを得ました。

もしあの日、中宮書店でその先輩と出会っていなければ、私は交換留学生試験を受けることもなく、アメリカへ留学することもありませんでした。

人生は、本当に何がきっかけになるか分かりません。

交換留学生試験に合格したのは3年生の秋でした。

そこから半年間の特訓を受け、4年生の夏に渡米しました。

まずナイアガラの滝近く、ニューヨーク州Lewistonのホストファミリー宅で3週間生活をさせていただきました。

初めて経験するアメリカの生活は、私にとって驚きの連続でした。




当時、私の実家にはシャワーがなく、お風呂は毎回沸かしていました。

ところがアメリカでは、蛇口をひねればいつでもお湯が出ます。

どこの家庭にも水洗トイレがあり、生活の豊かさに大きな衝撃を受けました。

もちろん設備だけではありません。

ホストファミリーの温かさ、人を受け入れる文化、家族との時間を大切にする姿勢。

どれを取っても、日本とは違う価値観がありました。

私はその3週間で、アメリカという国が好きになりました。

留学前にこのような経験をさせていただいたホストファミリーには、今でも心から感謝しています。

この出会いがなければ、「いつかアメリカで暮らしたい」と思うこともなかったかもしれません。

その後、1984年に留学先であるSUNY at Brockportへ入学しました。

そこで最初に知り合った日本人が、現在、イプソス株式会社代表取締役社長を務める内田氏です。

44年が経った今でも、日本へ帰国するたびにお会いしています。

もともと教職員を目指していた私をビジネスの世界へ導いてくださったのも内田氏でした。

アメリカの広大な土地。

人々のおおらかさ。

他人の目を気にせず、自分らしく生きる文化。

一年間の留学生活を通して、私は内田氏から人生観や世界観を学びました。

そして21歳の私は、

「いつかニューヨークで独立し、一生アメリカで暮らしたい。」

そう決意するようになりました。

今振り返ると、この留学が私の人生最大の転機だったと思います。

1984年の留学がなければ、今のアメリカでの私は存在していません。

---

帰国する日が近づいても、私の気持ちはすでに決まっていました。

「いつか必ずニューヨークへ戻り、この地で生活したい。」

帰国する直前、その思いだけを胸に、ニューヨークの日系人材紹介会社 Nippon Employment Agency のドアを叩きました。

まだ学生でしたので、すぐに就職できるわけではありません。

それでも、自分の将来につながる何かヒントが欲しかったのです。

その時、社長が40年以上アメリカで生活されていることを知り、

「アメリカに永住しながら働くという人生もある。」

そんな大きなヒントをいただきました。

それまで「アメリカに住みたい」という漠然とした夢だったものが、人材ビジネスという仕事を通じてアメリカに永住するという具体的なイメージへと変わった瞬間でした。

大学卒業後は、前職である人材派遣会社へ海外要員として入社しました。

「いつかアメリカへ戻る。」

その目標だけは、一度も変わることはありませんでした。

3年間勤務した後、1988年、念願だったロサンゼルス赴任が決まりました。

そして1990年にはニューヨーク支店へ異動となり、支店長として勤務することになりました。

この頃の経験は、現在の私の経営の原点になっています。

前職では、代表のご自宅でも丁稚奉公のように多くのことを学ばせていただきました。

経営のノウハウだけではありません。

それ以上に大きかったのは、経営者としてのライフスタイルを間近で見せていただいたことでした。

どのように仕事へ向き合うのか。

どのような人と付き合うのか。

どのような価値観で人生を歩むのか。

経営とは会社を運営する技術だけではなく、生き方そのものなのだということを教えていただきました。

そして、

「将来は自分もこのような人生を送りたい。」

そう強く思うようになりました。

人は、自分が見たことのない人生を描くことはできません。

だからこそ、自分が理想とする人生を歩んでいる方と出会うことが何よりも大切なのだと思います。

1991年、個人で永住権を取得すると同時に会社を設立しました。

しかし、当時はまだ前職に在籍していました。

利益相反を避けるため、人材紹介業ではなく、貿易業と統計調査業務を副業として行いました。

そして3年後。

満を持して1994年、マンハッタンでMAX Consulting Group, Inc.として人材紹介ビジネスをスタートしました。

振り返ると、独立は突然思いついたものではありません。

1984年の留学。

内田氏との出会い。

Nippon Employment Agencyとの出会い。

前職で代表から学んだこと。

その一つひとつの経験が積み重なり、1994年の独立へとつながりました。

どれか一つ欠けていたら、今の私は存在していません。

私は、「人生は人との出会いで開かれていく」と信じています。

そして同時に、「誰と時間を過ごすか」が人生を大きく左右するとも思っています。

前向きな人といれば、自分も前向きになります。

夢を語る人といれば、自分も夢を描くようになります。

反対に、否定的な考え方ばかり聞いていると、自分の可能性まで小さくしてしまいます。

人生は、自分が選ぶ環境と、出会う人によって大きく変わる。

35年以上アメリカで生活してきた今、その思いはますます強くなっています。

ーーーー

改めて感じるのは、私が今こうしてニューヨークで暮らし、仕事をし、自分の会社を経営できているのは、多くの方々との出会いと支えがあったからということです。

何よりもまず、両親に感謝しています。

そして、私の人生を大きく変えるきっかけを与えてくださった関西外国語大学にも、心から感謝しています。

志望していた大学へ進学できたことも、親のおかげです。

交換留学は、いわゆるスカラーシップ制度で、渡航費を除くほとんどの費用を大学が負担してくださいました。

しかし、当時は今とはまったく違う時代でした。

インターネットはありません。

電子メールもありません。

もちろんスマートフォンもありません。

家族との連絡は、手紙か高額な国際電話だけでした。

留学へ出発する日には、クラスメートが伊丹空港まで見送りに来てくれました。

今では考えられないほど、人と人とのつながりが温かい時代だったように思います。

最近、1984年当時の為替レートを改めて調べてみました。

当時は1ドル約240円。

今の若い世代の方には、なかなか実感しにくい数字かもしれません。

当時の会社員の平均年収を考えると、海外留学は決して気軽にできるものではありませんでした。

今になって振り返ると、両親は本当によく送り出してくれたと思います。

20歳そこそこの私は、そのありがたさを十分理解できていませんでした。

63歳になった今、親の立場に近い年齢になって初めて、その決断の重みが分かるようになりました。

さらに私が留学した翌年の1985年には、プラザ合意によって急速な円高が始まり、日本経済も大きく変化していきました。

もし交換留学生試験に合格していなかったら。

もし留学するタイミングが数年違っていたら。

もしあの日、中宮書店で先輩と出会っていなかったら。

今の私は存在していません。

そう考えると、関西外国語大学の交換留学生試験に合格できたこと自体が、私の人生における大きな奇跡だったように思います。

卒業後も母校とのご縁は続いています。

2004年4月、そして2024年3月には、関西外国語大学からお声掛けをいただき、交換留学や海外でのキャリアを目指す学生の皆さんを対象にセミナーを開催させていただきました。

少し熱が入り過ぎて、今思えば「言い過ぎたかな」と反省するような発言もありました。

それでも、1984年に交換留学生として送り出していただいた私が、20年後、そして40年後に母校で学生の皆さんへお話しする機会を二度もいただけたことは、大変光栄であり、感慨深い出来事でした。

そのような機会を与えてくださった関西外国語大学には、感謝の気持ちしかありません。

学生時代には想像もしなかった形で、母校へ少しでも恩返しができたことを嬉しく思っています。

人とのご縁は、卒業して終わるものではありません。

人生を通して続いていくものなのだと改めて感じています。

ーーーーー

留学で学んだのは、英語だけではありませんでした。

異文化の中で生活すること。

自分で考え、自分で決断すること。

人生は100%自己責任であること。

リスクを取らなければ、新しい景色を見ることはできないこと。

そして、人は自分が描いた人生に近づいていくということです。

私は今でも「Be・Do・Have」という考え方を大切にしています。

まず、「Be」。

どのような人生を送りたいのか。

どのような人間になりたいのか。

その姿を明確に描くことです。

そして、そのために行動する「Do」。

行動しなければ何も始まりません。

自分が理想とするライフスタイルを送っている方々と接すると、考え方が変わります。

考え方が変わると、使う言葉が変わります。

言葉が変わると、行動が変わります。

行動が変わると、人生が変わります。

その積み重ねが、「Have」、つまり理想のライフスタイルにつながっていくのだと思います。

1984年の留学は、私にそのことを教えてくれました。

そして、その経験があったからこそ、その後アメリカで働き、起業し、ニューヨークで35年以上、そして人材紹介ビジネスを33年間続けることができたのだと思います。

32年前に独立して以来、本当に多くの企業様、そして多くの候補者の皆様とのご縁をいただいてきました。

一社一社、一人ひとりとの出会いを大切に積み重ねてきた結果が、今日のMAX Consulting Groupです。

数ある人材会社の中から私どもを信頼し、ご利用くださった企業の皆様。

人生の大切な転機である転職を任せてくださった候補者の皆様。

そして、これまで私を支え、励まし、導いてくださったすべての方々に、心より御礼申し上げます。

会社は、一人の力だけで続けられるものではありません。

多くの方とのご縁があったからこそ、今日まで歩み続けることができました。

本当にありがとうございます。

これから先30年、どこまで走り続けられるかは分かりません。

しかし、初心を忘れることなく、一人でも多くの企業様と候補者の皆様のお役に立てるよう、誠心誠意、最高のサービスをご提供できるよう努めてまいります。

1984年、交換留学生としてアメリカへ渡った一人の大学生がいました。

当時の私は、35年後、ニューヨークで会社を経営し、人材ビジネス設立33年目を迎えているなど想像もしていませんでした。

人生とは、本当に不思議なものです。

だからこそ、私はこれからも夢を描き続けます。

そして、新たな出会いを大切にしながら、一歩一歩前へ進んでいきたいと思います。

人生は、人との出会いで開かれていく。

私はこれまで、多くの方々との出会いによって人生を開いていただきました。

今度は私が、一人でも多くの企業様、そして一人でも多くの方の人生を開くお手伝いができれば、これ以上の幸せはありません。

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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